2021-06-15 第204回国会 衆議院 本会議 第34号
イエレン長官は、FRBの議長時代の二〇一六年に、経済ショックで需要が低迷した状態が長く続くことが、供給側にも恒久的な悪影響を与え、長期的な経済低迷につながる、いわゆる負の履歴効果を提唱し、それを払拭するためには、総供給を大幅に上回る総需要をつくり出して高い潜在成長率と賃金上昇を実現する、いわゆる高圧経済、ハイプレッシャーエコノミーが必要だと主張してきました。
イエレン長官は、FRBの議長時代の二〇一六年に、経済ショックで需要が低迷した状態が長く続くことが、供給側にも恒久的な悪影響を与え、長期的な経済低迷につながる、いわゆる負の履歴効果を提唱し、それを払拭するためには、総供給を大幅に上回る総需要をつくり出して高い潜在成長率と賃金上昇を実現する、いわゆる高圧経済、ハイプレッシャーエコノミーが必要だと主張してきました。
参議院においては、昭和四十六年の河野議長時代の参議院改革から、決算審議の充実と早期審査、そして審議成果の予算への反映に向けた取組が積み重ねられ、四十年を経過し、今日に至って定着してはおります。
私は、やはり参議院議長だった人が大臣になることが前代未聞、今までそういうことは皆さん控えられていたことには理由があり、ましてや議長だったときの政権と同じ政権のもとで大臣になるということは、議長の権威をおとしめるだけではなくて、先ほど大臣がおっしゃったように、振り返って、大臣の議長時代の議会運営そのものが中立ではなかったのではないかという国民の不信を招くものだと思うわけです。
また、さらにさかのぼってみますと、大臣が議長時代に行われたことで、大変私は不信を持っていることがあります。 それは、平成二十年のいわゆるガソリン国会のときなんですけれども、三月に期限の来るガソリン税の暫定税率について、当時の与党であった自民党が議員立法で暫定税率の延長法案、ブリッジ法案を提出したところ、一月三十日に両院議長のあっせんでブリッジ法案を取り下げたんです。
ただ、私が議長時代に、ではすべてうまくいったかというと、これは必ずしもそうでもない場面があったので、反省をしながら今の状態を心配しているというところでございます。
それでも、私も参議院の議長時代にベンチを買ったりしまして、なかなかいいものもできたりするんです。 それからまた、その刑務所がある土地に伝統的に伝わっている工芸、漆とか、なかなかそういう伝統工芸の伝承者がいなくて、刑務所の中でそういうものが伝わっているというようなこともあったりで、それもまた大事なことだとは思います。
いわゆるSTというのは、主に気管と食道の飲み込み分けをする、できない、これに対して、脳卒中、脳梗塞等の後遺症でこれに対して必要な職種であるということ、これもまた平成九年に斎藤十朗議長時代に定められた資格でありまして、いわゆる作業療法士あるいは理学療法士、言語聴覚士の中で最もこの嚥下障害のリハビリに当たる専門家が、セラピストがSTであります。スピーチセラピストです。
しかし、研究者の間では、グリーンスパン議長時代より一—二%、一から二%を目指しているということは市場に浸透しているという評価がされております。 したがって、先進国の中で下限が〇%の国はありません。また、インフレ目標の導入、あるいは導入しない場合の透明性の確保について、各国、模索を続けているわけであります。日本も、先ほど御説明したとおり、同様の模索を続けていると考えます。
しかし、研究者の間では、グリーンスパン議長時代より一から二%を目指しているということは市場に浸透しているという評価がなされております。 したがって、先進国の中で下限がゼロ%の国はありません。また、インフレ目標の導入あるいは導入しない場合の透明性の確保については、各国、模索を続けているわけであります。日本も、先ほど御説明したとおり、同様の模索を続けております。
○吉田博美君 私は長野県の県会議長時代に、ちょうど産経新聞の解説員の方が見えまして経済界の講演をされました。 そのときに、比喩的でありますが、タイタニック号が沈むときを例えて、タイタニックが沈むときに婦女子だけは救命ボートに乗せる、そして男性は遠慮していただくと言ったときに、アメリカの男性の方が乗ろうとされましたら、あなたはヒーローになるから、これは乗れませんよと言ったら遠慮された。
私も、ずっとこの経過を見ますと、衆議院よりも先に改革を着手されたのは、もうあの河野議長時代以来、参議院が先に手をつけられて非常に御努力をされてまいったというふうに思いますし、さはさりながら、例えば藤田、土屋参議院議長時代に、参議院のあり方、改革に関する制度研究会などをおつくりになって改革をやられている。
私も政治家を志して以来、常々その問題に関心を寄せておりまして、大阪府議会の幹事長、議長時代には、興信所条例という就職、結婚等のときに興信所が身元調査をするということに対する規制を全国に先駆けて大阪府で施行しておるわけです。
御存じのとおり、参議院は、大先輩の河野謙三議長時代から築いてまいりました良識の府としてのよき慣行、慣習のもとに、何よりも国民の合意を目指した徹底審議の実績を積み重ねてまいったのであります。そして、日々の議会活動を通じて、与野党を問わずお互いに努力を続けているところでもありました。
○国務大臣(吹田愰君) 私の議長時代にまず議会棟をつくりました。それからだんだんといきましたが、今完成しまして、非常に立派であります。ただ、上田先生に申し上げますが、今立派だから、立派過ぎるからといったって、それが立派であるかどうかというのは後世の歴史家がまたそれなりの判断をするわけですね。ですから、今は立派過ぎるといったって、そのときの時代で、今から二十年、三十年先に立派過ぎるとは言い切れない。
この反対を無視し、自民党が単独で本会議の開会を強行することは、河野議長時代以来二十余年にわたる慣行を破る極めて重大な悪例を残すことになります。 本日の本会議で承認を求めようとしている新行革審の委員任命について言いますと、我が党はもともと新行革審そのものに反対です。しかし、委員の任命については我が党は、右の基本的立場にかかわりなく委員の適格性を個別に検討しています。
あなたが統幕議長時代にはなかったですか。
全くそのとおりだと私どもも考えておりまして、かねがね参議院では河野議長時代に各委員会のフリートーキング制の採用なども不十分でしたけれどもやってみた経過がありまするし、最近は参議院の改革ということで、今年度の予算の審議期から、言うならば各常任委員会が一定の時間、関係の予算審議を一斉に開催する、こういうふうな試みもやってみました。
こういうことを私は見るときに、日本の水産のあり方一つとってみましても——また少し私のことで恐縮ですが、河野謙三さんが参議院の議長時代に一遍一緒に私は外国へ行きました。
そこで委員会が実に十回、中央公聴会が二回、それから地方公聴会が、札幌、仙台、福岡、大阪、こうやって、本会議でついに記名投票という、清瀬一郎の議長時代ですが、これをずっと読んでみると、これさえやればバラ色の農村、農家ができるというふれ込みの提案と、これやったらもう何にもならない、金をかけて終わっちゃう、こういう野党との対決法案であるだけに、これだけ審議を深めたんだろうが、これから伺いたいのは、一体農業基本法
だからこの責任を負わないようでは、将来——私だって石田博英さんか労働大臣のときに、厚生年金資金五十億出してくれと言って総評の副議長時代話して、新宿の厚生年金会館つくったんですよ。やってできないことはないんだ。やはりそのくらいの気持ちにならなければできやしませんよ。
私も実は、御存じのとおり全逓本部の書記長だ、副委員長だなんかやっておりましたし、総評本部の副議長も長くやっておりましたから、たとえば新宿の厚生年金会館なんというのは、当時の労働大臣、労政局長さん以下に、私、総評副議長時代に何遍かひざ詰めで話し合いをいたしまして、厚生年金の積立金なんかも、これは全駐労なんという組織はいい例で、かつて四十万もいたわけですよ。みんな厚生年金に入っていた。
そこで、私はかつて苦い経験がございまして、例の勤評問題のときに、私、神奈川でございますから、さんざんもめにもめてもめ抜きまして、神奈川方式なんというものを、私ども苦労して中に入ってまとめた時代がございまして、私は総評本部の副議長時代でございましたから、出身県でございますから、神奈川には往生した時代がございまして、一つ間違うと、これからはそれに類するようなところが県によりましては出てきそうな気もするわけであります